のロゴスの働きにぞくすもの、之を人々は最も広い意味に於て理解と呼んでいる。人々の言葉の内にあっても、この言葉は最も重大な役割を占め又最も必要な表現の一つであるから、従って又それだけ人々が之を語る意味は様々であるのが自然である。しかし今こう云った理由は、理解という言葉が学者達の術語として一致を欠いているからではない。吾々が或る言葉を説明する時、それがもし日常語[#「日常語」に傍点]であるならば、無論之を日常語として説明しなければならない。併し之に反してもしそれが専門語[#「専門語」に傍点]であるならば、吾々は第一にそれを或る一部の専門家が定義した名辞として、第二にその専門家のぞくす専門的世界の術語[#「術語」に傍点]として、之を説明しなければならない。併し更に重大なことは、この術語が日常生活に於ける言葉――日常語――から、どのような手続きを経て派生して来たかを探ねることである(日常語と専門語との区別とその区別の権利は後を見よ)。尤もこの専門が realistisch な部門であるならば(例えば数学や物理学のように)、術語が発生する地盤としての日常語を探ねることは、必ずしも意味のある労作で
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