驕B併し無論逆に純粋直観が凡て空間表象であるのではない。例えば時間のようなものも純粋直観であるかも知れない。空間表象はどのような純粋直観であるか。意識が何であるか外的世界が何であるかは困難な問題であろうが、少くとも両者の間に何か一義的な区別のあることは誰でも認めなければならぬと思う。今この区別を内界と外界という言葉を以て云い表わせば空間表象が外界に関わることは明らかである。空間は外的な純粋直観でなければならぬ。Hinschauen(フィヒテの言葉)と云うことが出来る。先ず空間直観の概念を茲まで決定することが出来ると思う。ロッツェが空間表象を外的直観と呼んだのは之に相当すると解釈出来るであろう。処が彼は向に引用した文章の示す通り、この空間表象をば無条件に承認せねばならぬものと主張する。即ち空間は根源的な純粋直観でなければならぬ。吾々は空間表象に就いて語る時には先ず空間表象そのものを予想しなければならない。無論この予想を証明しようとすることは――ヘルバルトやベーンが試みて失敗したように――不可能である。併し予想を証明するということと、予想を予想として承認し而る後にその予想が何を意味するかを
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