同様に夫々絶対的な大きさ及び要素の順序を許す必要がある。そして許さなければならぬこの三つのものこそ主群が有っている所謂特殊内容に外ならない。更に主群に於てそれ自らに変換する要素――同一要素――を考える時、例えば運動に就いては位置の不変が丁度之に相当するであろう。併し位置の不変ということは無限に多く――此処にも彼処にも――あると云わねばならぬ。然るに群の同一要素は定義によれば唯一つの筈である。処が矛盾とも見えるこの結果は却って変換そのものと変換されるものとの区別を明らかにするものに外ならないと思う。之が特殊内容である。それ故変換群は少くともこのような意味での特殊内容を含む可能性を有っていると云わなければならぬ。変換群が幾何学の根本的概念となるとすれば、茲に群そのものの外から之に付加された偶然な内容が潜入しているのを見逃すことは出来ない。であるから幾何学が群論に還元されるということは少くともそれが群論の総論に還元されることではない。事実幾何学はクラインの云うように変換群に就いての不変量理論(Invariantentheorie)なのである。即ち変換論とも云うべきものなのである(上掲著書参照
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