断に対して不変に残される要素間の関係をその内容とするものである。次に射影幾何学のこの二つの公理群に次の三つの公理群を加える時、吾々が普通計量幾何学と呼び慣している処のものを得る。即ち合同の公理、平行線公理及び連続の公理がそれである。処が平行線公理、即ち同一平面内に於て一点を過って任意の直線と交わらない直線は必ず唯一つある、ということを意味するユークリッドの公理は、之と矛盾する他の公理によって置き換えられることも可能である。この時ユークリッド幾何学に対して非ユークリッド幾何学を得る。向のような条件を充す平行線が全く許されない時リーマン・ヘルムホルツの幾何学を、又かかる平行線が無限に存在しその一双が特に平行線と名づけられる時ロバチェーフスキー・ボーヤイの幾何学を得るのは何人も知る処であろう。抛物線的、球面的及び楕円的並びに双曲線的幾何学として普通区別される処のものである(Sommerville, Non−euclidean Geometrie, p. 89, etc.)。さてヒルベルトの云うように如何なる公理群も他の公理群とは独立であるとすれば、吾々は任意の組み合せによって生じる公理体系の数だけの幾何学を区別しなければならない筈である。併しながらそのようにして得る分類は縦え論理的には正当であるにしても、その故に直ちに幾何学に対して本質的であるのではない。私はそれ故本質的な分類へ達するのに便宜な手段として特に以上の分類を選定しなければならなかったのである。
 射影幾何学から計量幾何学へ移るに当って加えられた公理群は合同、連続及び平行線のそれであったが、第一に線又は角が合同であるとは何を意味するか。例えば二つの線が等しいという時吾々は両者を重ね合わせて見る外にこれを確める根拠を有たぬ。然るに重ね合わせるとは一を他へまで重ね合わせる運動を含まぬわけにはいかない。素よりヘルムホルツに従ってこの運動を経験界に於ける物体の運動と同じに見ることには多くの危険が伴うであろう。数学の要求は寧ろこのような運動の概念を除外して例えばシュタイナーの構成法の如きものを用いて純幾何学的に同等を定義することに努めるであろう。それ故運動とはこのような意味に於ける観念的運動と考えられるのが正しい(〔Weber−Wellstein, Enzyklopa:die, II. S. 20, etc.〕)。かかる
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