なって現われ、そしてこの間接[#「間接」に傍点](手続き――Vermittelt)さが、その所謂構成説となって[#「なって」に傍点]現われたものであった。カントの構成説が模写説の単なる排撃に終ったのは、彼が自分自身提出した唯物論的な設問を貫き得ずに、問題の解決を観念論的な方向に限定したカントの偏局の責任だったのである。封建的遺制が著しく強力だった当時のドイツの啓蒙的な理論家カントにとっては、之は止むを得ない必然的な偏局だったのである。

 認識即ち模写は一定の構成手続き[#「構成手続き」に傍点]によって初めて実際的に実行される。云うまでもなくこの構成が、認識する主体の何等かの勝手気儘に基くものであることは許されない。カントはそれ故、先天的で普遍的な人間理性に固有と考えられる構成の共通な一般的な規準を与えることによって、この構成手続きの客観性を保証出来ると考えた。処が例えばこの構成の規準の代表的なものである処の根本的な悟性概念、即ち所謂範疇なるものを、カントはどうやって導き出したかというと、夫は結局従来の形式論理学の判断の表に基くのである。そしてこの判断の表は、極端に云えばアリストテレス
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