あり)。
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 模写説は普通の「哲学概論」によると、素朴実在論に立脚する認識理論だということになっている。と云うのは、認識されている通りのものがそのまま客観の終局の姿だ、という想定を有っているというのである。之によると色盲にとっては赤と青との区別は客観的に存在しないのだし、焔の次に現われた井戸水は氷の次に現われた同じ井戸水よりも遙かに温度が低いということになる。之は云うまでもなくナンセンスである、だから模写説はナンセンスに帰する、という筋書きである*。
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* 或いはもう少し真面目な批評はこうである。仮に認識が客観的な原物の模写であり、この原物と一致するコピーであるとしても、原物とこのコピーとの一致そのものの認識は再び又、この一致という関係自体に一致するコピーである。従ってコピーが果してコピーであるかないかは、どこまで行っても決まらないではないか、というのである。だが、コピーであるかないかは頭の内では決まらないかも知れないが、実践によって立派に決定される。――認識に於ける実践の役割に就いては後を見よ。
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