れて見る必要を感じたまでで、夫が例の物自体の存在[#「存在」に傍点]の認容と、それが原因となって感覚を結果[#「結果」に傍点]するという見解だったのである。――で之は立場の矛盾ではなくて単に問題の相違なのだ、ただカントの不幸は、この二つの問題が全く独立に切り離して提出されうる、という風に考えて済むものだと思っていたことにあったのだ。

 カント哲学の固有な問題は、知識の一種の客観性(社会人の諸主観に普遍的に必然的に通用し得るという特権)に就いてである。これを説明し得るために彼は、知識が物そのものを、そのまま[#「そのまま」に傍点]写したものではあり得ないということを、即ち物自体は認識出来ないということを、強調せざるを得ない。知識とはカントによれば、主観に与え[#「与え」に傍点]られた処の(但し与えられるには物そのものが主観に作用したのだったが、与えられた以上そんなことはもう忘れて了っても差支えない)、例の感覚を材料として、之を、主観の側に先天的に(物そのものと無関係に)具わった規則(空間・時間・範疇・図式・原則など)によって、手落ちなく按配したものに他ならない。知識、乃至広義に於ける経
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