体に於て外部的にしかつき合わされなかったから、この哲学(ブルジョア哲学なのだが)にどんな分裂と対立があろうとも、それとは一応無関係に、とに角自然科学自身はその唯一性と単一性との理想を保維出来た。処が社会科学は之に反して、大体から云って哲学(ブルジョア哲学)と内部的に交渉を持ち過ぎていたため、哲学の分裂・対立はすぐ様社会科学そのものの立場の分裂・対立となって現われざるを得ない、というわけである。
 無論、夫々の社会科学の立場の分裂・対立と言っても、実は全くの無政府状態なのではない。吾々はこの様々に異った立場をば適当に類別し系統づけ、それからある限度まで相互に近づけたり折衷したり、時には総合したりさえすることが出来るように見える。なぜならブルジョア社会科学各々の立場と雖も何等か合理的に説明出来るような存在理由なしには、対立したり分裂したりする筈がないからだ。だがそれにも拘らず、例えばブルジョア経済学の立場とマルクス主義経済学の立場とを、その本質に於て総合したり合致せしめたりすることは出来ない。が、それと同様に、同じブルジョア社会科学同志の間に於ても、立場のこの種の絶対的な対立は決して珍しく
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