方法論的なもの以外に、社会哲学とか経済哲学とかいうものが発生するのである。そして夫が、一般に社会科学又経済学自身と密接な交渉のあるものとして、一応認容されているというのが、ブルジョア社会科学の現状なのである。――処が自然科学の場合には之に反して、そういう種類に相当する自然哲学[#「自然哲学」に傍点]なるものは、寧ろ自然科学そのものによって排撃されるのを当然な建前としていたことを、思い出さねばならぬ。
社会科学がこれ程哲学と宿命的な交渉があるということは、同一の社会科学そのものの間に立場の殆んど無限な対立が存するということと、同一の事情だったのである。つまり夫々の社会科学の立場が云わば異った哲学の数だけに、分裂しているのである。自然科学はその根本方向と過程とに於て単一[#「単一」に傍点]で唯一[#「唯一」に傍点]だという特質を有っている。学問上の見解の分裂と対立とはそれが研究途上にあるものとして避け難い当然な事情だが、それは、その分裂と対立とが一定の共通のコースを想定しているその限界内で起きる場合に限る。処が社会科学ではこのコースそのものに分裂と対立とがあるのだ。――自然科学は哲学と大
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