モ味では、無でなくてはならぬ。処が最近の哲学史家達の研究が示すように、この無はただの虚無ではなくて、寧ろ、有という定形[#「定形」に傍点]を以てしては徹底限定し得ない程に、盛りあふれた豊富さそのものを意味するらしい。だから之は有でないことによって却って、有でないどころではなく、圧倒的な有なのである。かくて哲学的範疇としての物質は、存在(=有)は、所謂有と所謂無との矛盾に於て初めてなり立つ処の、その古典的な総合概念なのである*。
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* 哲学的物質の概念の発展と特徴に就いては、拙稿「物質の哲学的概念について」(『唯物論研究』二六号)〔本全集第三巻所収〕を見よ。
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 物質の哲学的範疇を、認識の歴史はやがてその物理学的範疇にまで、具体化し又は特殊化すが、この物理学的範疇としての物質を見る前に、物質の(自然の)次の根本規定を注目する必要がある。というのは物質は運動[#「運動」に傍点]することをその根本特色としている。運動しない物質は、物質ではあり得ないからである。――処で一体、運動なるものが弁証法の代表的な場合であることは、ゼノ
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