れないが、併しそういう譲歩は、単なるうわの空の儀礼にしか過ぎない。教えや道のためには、場合によっては科学的真理や思考の科学性などは、いつでも犠牲にされて構わないのである。この高遠な哲理は処が、不思議なことには、現代の腐敗しつつある市民社会の最も卑俗な「常識」や、「専門的」哲学者の思想に、甚だよく適合するのである。――こうした深遠にして同時に浅薄な哲理の内に、前に云った科学性=実証性を認めることは無論全く不可能なことで、之が吾々の今の問題の外に逸脱するのは遺憾である。
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* 例えば西晋一郎著『東洋倫理』を見よ。又各種の既成乃至新興宗教や所謂真理運動の類を見よ。――極端な場合として、この教えや道は成層圏的な高みから地上にまで降りて来て、自然科学や社会科学に於ける因果の連鎖に、偶因論の神のような霊妙な干渉を試みる。この教えや道の端くれに触れれば、病人は忽ち治り無産者も一躍金が儲かるという類である。
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学問のこのような戯画的な分裂と自己崩壊とへ導かれないためには、科学と哲学との間の一種絶対的な対立の代りに、もっと内部的な交渉
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