ある。無論表現は之を説明することは出来ない、吾々は之を意味解釈し得るだけである。――処で実は、実証に対立する批判も亦、説明に対立する限りの解釈[#「解釈」に傍点]の一つの場合に他ならなかったのだから、今のこの立場も亦、前の批判主義の立場を一層拡大したものであり、自然科学乃至自然科学に準じる科学と、哲学との距離を、一層広めたものに他ならなかった。
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* W. Dilthey, Gesammelte Werke, Bde. 5. 7. 8 参照。なお『哲学とは何か』(鉄塔書院)中のディルタイからの訳の部分を見よ。
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この距離を更に徹底的に又妄想的に拡大したものは、知識[#「知識」に傍点]と教え[#「教え」に傍点]又は道[#「道」に傍点]とを対立させる立場である。東洋的倫理や宗教的真理は、自然科学的乃至科学的な「知識」でないばかりでなく、之を絶対的に超越した成層圏的な世界だというのである*。尤もこの種類の哲理観は夫が多少とも文化的な外形を具える必要がある場合には、元来は科学的知識と決して矛盾しないということを強調するのを忘
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