論?)も、科学に類似した発生をなし得る理由があるのである。――社会科学は著しくイデオロギッシュ[#「イデオロギッシュ」に傍点]になることが出来る。というのは、デマゴギッシュ[#「デマゴギッシュ」に傍点]になることが出来る特権を有っているということだ。
 処で社会科学と自然科学との区別は之で一応いいとして、両者の連絡[#「連絡」に傍点]を与えるものは何か。夫は自然と社会との切り合った処、かの技術的なものの領域である。技術的領域は単にこの二つの科学の共通の研究対象を提供するだけではなく、両者の範疇組織[#「範疇組織」に傍点]の間の媒介をなす機能を持っている。というのはすでに前に述べたように、一切の範疇組織は、それが現実を現実的に処理し得るものであるためには、技術的範疇[#「技術的範疇」に傍点]の性質を持たなければならなかったのだが、その地盤を提供するのが恰もこの技術的領域だったのである。
 だが何と云っても観念は自由である。社会に於ける或る勝手な主観的な、即ち観念的な利害乃至要求は、イデオロギーを或る程度まで自由に強要することが出来る。イデオロギーが又そういう強要によって或る程度まで動かさ
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