組織が異るに従って、その内容が全く別になる。機械論的(即ち又形而上学的・形式論理的)範疇組織による夫は、偶然性乃至可能性の絶対的な排除を意味する。そうした機械的な決定論或いは宿命論のための用語となる。之に反して弁証法的論理による因果必然性とは、寧ろこうした偶然性乃至可能性を一貫することによってしか実現しない処の、必然性のことだった。この例でも判るように、範疇組織のこの対立、形式論理と弁証法、機械論と弁証法との対立は、之を哲学的に換算すれば、結局観念論と唯物論との、思想上の[#「思想上の」に傍点]、イデオロギー上の[#「イデオロギー上の」に傍点]、対立に他ならない。形式論理や機械論は形而上学と呼ばれるが、夫は観念論の最も一般的な規定の一つであるし、弁証法は唯物論に帰着しなければならないのが哲学史の教える処だ(ヘーゲルからマルクスへ)。そして更に、思想上の、イデオロギー上の、この対立は、直ちにブルジョアとプロレタリアとの社会階級的[#「社会階級的」に傍点]対立に帰属させられていることを見るなら、科学の実在模写の論理や認識構成の方法に於ける論理が、如何に社会の階級対立に照応していたか、という
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