いるだろう(尤も企業合理化に於ける所謂能率[#「能率」に傍点]としてのエフィシェンシーは、資本制による利潤追求の機構が之に干渉しているのであるが)。――だが、技能は事実、社会に於ける技術水準[#「技術水準」に傍点]の、主体的な個人的な反映に他ならない。だから夫は結局、労働手段体系[#「手段体系」に傍点]の、主観的な人的な反映だったのである*。
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* 技術の概念に関する議論に就いては、拙稿「インテリゲンチャと技術論」(『日本イデオロギー論』〔前出〕の内)及び岡邦雄『新エンサイクロペディスト』の内を見よ。――なお相川春喜『技術論』(唯物論全書――未完の部)がこの問題に触れるだろうと考える。
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労働対象(自然的物質)に就いての生産力の技術性も亦、一考には値いするだろう。例えば鉱山の発見は労働手段体系と労働技能との発達を促進するし、逆に後の二者は、そうした土地の生産性を技術的に高めることによって、云わば之を技術的な[#「技術的な」に傍点]労働対象として見出すだろう。だがこの場合、労働対象を技術的たらしめるものは、云うまでもな
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