に傍点]そのものではない)は生産力の最も重大な規定の一つである。尤も技術性が生産力の唯一の規定だというのではない、仮に技術性で以て生産力の規定の凡てを蔽うて了うならば、社会の現実的根柢は技術性(普通之をルーズに技術と呼んでいる)に帰着することになって了うだろう。そうするとそこから、各種の技術史観や技術家至上主義などの技術主義が結果することになる。この結果のナンセンスであることは、一方では、その場合用いられる技術(?)という概念が不確実で無統制であるという事実に於て、他方ではそうした概念を適用したこの結論が実際問題の解決に当って示す奇説や見当違いに於て、之を検証することが出来る*。生産力の規定は技術性にだけあるのではない、抑々この技術性が基かねばならぬと考えられる処の規定である生産性[#「生産性」に傍点]こそ、その第一の規定でなければならなかったろう。だから技術性[#「技術性」に傍点]は生産力の一規定に過ぎないと云わねばならぬ。処がこの一規定に過ぎない技術性が、イデオロギー(科学はその内に含まれる)の問題から云えば、一等大切なのである。
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* シ
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