。尤もH・ポアンカレやベルグソン(其の他心理学や生理学や社会学からの例は極めて多い)の例でも明らかであるが、「科学の哲学」者の中には元来が自然科学の世界に於ける専門家の資格を有つものが少なくないから(例えば物理学者のA・レーや化学者のE・メイエルソンなど)、この批判は、自然科学自身にとって、或る場合には大いに役に立つものなのである。事実彼等の哲学は、自然科学自身から出発し、又は自然科学そのものの立場に終始しているように見える。だがそれにも拘らず実は彼等は必ずしも自然科学の本来の立場に止まっているのではない。却っていつの間にか各種の任意の哲学的な世界観(大抵極めて観念論的な)への拡大を企てているのである。でここでも哲学的観点と科学的観点とが必ずしも一致しているとは限らないのである*。処でこの不一致はとりも直さず実証[#「実証」に傍点]と批判[#「批判」に傍点]との間の例のギャップだったのだ。――更に又、実証的[#「実証的」に傍点]な批判主義[#「批判主義」に傍点]とも云うべきものはE・マッハ、アヴェナリウス、ペーツォルト等の経験批判論[#「経験批判論」に傍点](経験的理性の批判)である。
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