揩ツ、という。
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 カッシーラーの批難は、自然科学に就いてのリッケルトの認識不足を指摘する点では、多分或る意味に於て当っているだろう。そして実際、リッケルトは自然科学に就いて彼が発見したこの方法の規定を、ダイヴィング・ボードとして、その対立物の歴史学(文化科学)の方法を規定したのだったから、その限り、之は歴史学方法に就いての彼の認識の不充分さに対する、間接の批難にもならないではない。――だが独りカッシーラーに限らず、H・コーエンもP・ナトルプも、彼等自身、文化の科学に就いての見解は決して卓越したものではない。少くとも彼等の自然科学、特に精密自然科学、の科学性を科学一般[#「一般」に傍点]のイデーにまで押し及ぼそうとする立場からは、リッケルトが文化科学を文化価値に関係づけようとした意図は、決して理解されないし、まして征服され得ないだろう*。
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* なおW・ディルタイの系統にぞくするM・フリッシュアイゼン・ケーラーによる批判があるが(〔M. Frischeisen−Ko:hler〕, Wissenschaft und Wi
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