のである。
 世界像の観念に就いては、例えば相当にマッハ主義的な色彩を有っているカント主義者M・プランクが一応の典型的見解を示している。彼によれば、実在そのものは直接には断片的にしか認識(知覚)出来ないのだが、科学は之を組織的に構成することによって、科学的な世界像を創り出す、というのである*。ただプランクの説明では、この世界像と原の実在との根本関係が、認識論的に又科学論的に、一向ハッキリしていないということが、注目に値いする。だが夫は彼が一種のカント主義者であるからばかりではなく、他に意味のある一つの理由があるのである。と云うのは、プランクの所謂科学的世界形像は、実は決して科学全般[#「全般」に傍点]の成果としての総括的[#「総括的」に傍点]に統一的な科学的世界像のことではなくて、単に物理学なら物理学という一定領域に限定された一二の科学が齎す成果としての「世界の像」のことにすぎない。だからこの「世界」は実は実在そのものとしての世界ではなくて、それの故意に一部分的な映像であるに過ぎない。客観的な現実の世界そのものとこの所謂世界像との間には、だから之だけのギャップがあるのである。カント主義
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