[#「構成」に傍点]のことだったが、科学に於けるこの構成組織は併し、科学そのものが一つの客観的な歴史的社会的存在であり、歴史的社会に於ける公共的伝承的な所産であったから、之は歴史的社会的条件によって制約された構成組織でなくてはならないわけだ。知識(模写)はすでに人間の実践活動(感覚・実験・其の他社会的実際活動)によって構成されたのであったが、今や科学のこの歴史的社会的条件に基く構成組織には、この人間の実践活動、特にその社会的実践活動の役割が又、著しく組織的となる。
処で社会人の実践活動と云えば、彼が如何なる社会階級にぞくするかによって、意識上、一等根本的な区別を生じるのであるから、従って科学には所謂階級性[#「階級性」に傍点]が発生することとなるのである。科学の階級性は、場合によっては科学をして却って愈々その科学性を高めさせるが、反対の場合には科学からその科学性の重大な部分を奪って之を歪曲する作用を有っている。往々にして、反映すべき実在の原物からの印象の強さに較べて、遙かに強力な牽制力を科学構成に及ぼすものが、この階級性なのである。
科学の階級性の議論に就いては詳しくは後に見るとして、今は科学が、その階級性によって、単に表面上の[#「表面上の」に傍点]科学的諸結論だけを左右されるのではないということを、注意しなければならぬ。階級性が単に科学の外面又は外郭だけに影響するのならば、科学者の公正にして冷静な頭脳や、真理への愛は、容易にそのような階級性などの圧力をはね退けて了う筈だろう。処が階級性が巣食っている処は、意外にも科学そのものの内部に、而も最も深部に近い処に、あるのである。と云うのは、科学の階級性は、科学構成の枢軸とも云うべき科学の方法[#「方法」に傍点]そのものの内に、すでに潜んでいるのである。
科学のイデオロギー性は、一見単なる社会的規定[#「社会的規定」に傍点]に過ぎないように見えるだろう。なる程確かに夫は社会的規定の外へは出ない。だが科学の論理的規定[#「論理的規定」に傍点]そのものがこの社会的規定によって制約されているとしたら、もはや之は単なる[#「単なる」に傍点]社会的規定だと云っては済まされないだろう。ブルジョア経済学とマルクス主義経済学とは、単に同じ科学が階級的利害に応じて相反する結論を与えるだけなのではない。ブルジョア経済学と雖もマルクス主
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