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結局に於て時間が不足であったため、論証を省いた処や杜撰な個処が少くない。他日訂正したいと考える。――なお参考書や文献は、機会々々に触れたと思うので、巻末には別に文献目録をつけなかった。そのため載せるべくして機会を得なかったものも多い。
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一九三五・一〇
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[#地から9字上げ]東京
[#地から2字上げ]戸坂潤
再版序
第二回の予約配本になるのを機会に、少なからぬ誤植を訂正して、再版の体裁にすることにした。出来る限りの訂正をした心算であるが、まだ遺漏があるかも知れないので、今後も読者の助力を乞う次第である。
私のこの『科学論』に就いて、読者から批評や意見や質問を受け取ったのが数件に及んでいるが、どうも暇がなくて一々回答が出来ずにいるのは心苦しいことだ。書店の希望もあるので、この全書〔『唯物論全書』〕の「月報」でも利用して、順次に答えて行きたいと考えている。
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一九三六・二
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[#地から2字上げ]著者
[#改ページ]
一 科学の予備概念
広い意味に於て科学というのは、単に分科の学[#「分科の学」に傍点]又は特科の学[#「特科の学」に傍点]としての所謂「科学」(=特殊科学)だけを指すのではなくて、一般に学問[#「学問」に傍点]のことを指すのである。処が学問という観念乃至言葉も亦決して元来、今日普通考えられているように限定されていたものではなかった。それは歴史の教える処である。例えばフランシス・ベーコンの有名な学問の分類法によれば、詩(乃至詩学)も亦学問の一つの分枝に数えられている。今日の言葉で言えば、文学乃至文芸も亦一つの学問だというのである。
併し今日所謂文学なるものが正常な意味に於ける学問だと考えられてはいない通り、「詩」も亦元来決して今日の意味での学問ではなかった。尤も文学という言葉を特に文芸(文学的芸術)から区別して、文献学・古典学・文学的言語学という意味に用いようという提案を採用するならば*、その意味での文学は立派に一つの学問であるのだが、併しそれにも拘らずなお文芸に、この文学という如何にも一つの学問であるかのような紛わしい呼び方が与えられていることは、単に日本や支那の文化的教養の特殊性によるばかりでなく(東洋にはギリシア的―
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