wに於ける実験と統計」(『現代哲学講話』〔前出〕の中)及び「社会科学に於ける方法」(『綜合科学』4号〔本全集第三巻所収〕)を参照。
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 マルクスが『資本論』の第二版序文に於て、科学方法を研究方法[#「研究方法」に傍点](Forschungsweise)と叙述方法[#「叙述方法」に傍点](Darstellungsweise)とに分けたことは、よく知られている。之は独り社会科学にだけ通用する区別ではない。研究方法は、すでに見た通り、個々[#「個々」に傍点]の経験資料乃至認識材料から何等かの一般的[#「一般的」に傍点]な関係を導き出すという方向に向っているのであって、之は研究者達の云わば頭脳の内に於ける個人的乃至主体的な過程である。処で之を社会に向って或いは自分自身に向ってでもいい、客体化されなければ、この研究の成果は最後の具体的な形態と記録としての客観性とを有たない。そうしなければ社会的通用性を有たないのである。このために必要なのが叙述方法であって、之は研究方法とは逆に、すでに抽出された何等か一般的な関係から出発して、之を個々の事象にまで体系的[#「体系的」に傍点]に展開するという方向を取る。
 研究方法の方は云わば極めて専門技術的な様式を有った方法であるが、叙述方法の方は云わば広義に於ける文献的=文学的な様式を有つ。例えば実験は研究方法の一部となって機能するが、この実験の結果を報告することは、叙述方法にぞくする。叙述と云えばどのような場合でも広義に於て文学的なものであらざるを得ない。少くとも言葉や文字や補助文字としての記号などを用いなければ、叙述は出来ないからだ。――だがこの二つの方法は(私は之を後の便宜のために様式[#「様式」に傍点]――研究様式と叙述様式――と呼ぶことにする)、交互的な連関を有っている。というのは如何なる叙述様式も予め研究様式があっての上でなければならないのは当然だが、それだけではなく逆に、発達した一切の研究様式はいつも夫々先行する叙述様式を想定せずには成立しないのである*。例えばどのような自然科学的実験的研究でも、それまでの自然科学の歴史的発達(それは書物や文献や教育によって保維される)を想定した上でしか形を有ち得ない、ということに他ならない。スペクトルによる実験が天体に於ける一定の元素の存在を証明するということは、気体
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