辜uルジョア「社会学」を批判したものとしては、アクセリロート・オルトドクス女史『ブルジョア社会学の批判』(永田訳・南宋書院発行)や、A Lewis, An Introduction to Sociology(高畠訳『社会主義社会学』・改造社)などが、一応の参考になる。なお拙著『イデオロギー概論』〔前出〕参照。
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で、ブルジョア社会科学一般の方法は、この史的唯物論に対立する限りに於て、一纏めとなって共通性を持つのである。つまり唯物論と弁証法という普遍的な方法(或いは寧ろ一つの方法の二つの契機)の、この二つの契機か、又はどれか一つの契機かに、対立することが、ブルジョア社会科学の方法の共通な特色になるというわけである。だが、――こうなると之は二つの範疇組織[#「範疇組織」に傍点]=範疇体系[#「範疇体系」に傍点]の間の対立になる。方法[#「方法」に傍点]なるものの最後の意味が、論理[#「論理」に傍点]にあり、その意味に於ける範疇組織にあるということを、吾々はすでに述べた。唯物論に対立する範疇組織は、まず事物の歴史的過程の実際的な分析[#「実際的な分析」に傍点]の代りに、事物の有つ意味相互間の関係を意味解釈[#「解釈」に傍点]するための範疇組織である。之が今日広範に観念論と呼ばれるものの第一の規定で、之に帰着する社会科学的方法の最も代表的なものは、ディルタイ系統の解釈学的歴史学や「理解経済学」の夫などであった。第二に夫は、観念的主観主義[#「主観主義」に傍点]の範疇組織である。限界効用説乃至オーストリア経済学(心理主義・感覚測定論・其の他を含めて*)や、所謂唯心史観(ランプレヒトや通俗の精神史主義)などの方法がその例である。
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* オーストリア経済学の方法に対する批判はN・ブハーリンが与えている(N. Bucharin, Die politische Oekonomie des Rentners)。
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観念論は第三に、広義に於ける形式主義[#「形式主義」に傍点]と原則的なつながりを持っている。形式主義的範疇組織の代表者がコント以来のブルジョア社会学であることは広く認められている処であり、その典型的なものが所謂「形式」社会学なのである。カント主義的社会科学(例・シュタムラー・フォ
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