B蓋し近代自然科学(社会科学もそうだが)が最も著しい発達を遂げたのは十九世紀の後半以後であって、この科学的発達に相応した方法論、即ち所謂科学方法論に該当するものは、まだ出現する機会を持たなかったからである。
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* J. S. Mill, A System of Logic, ratiocinative and inductive (1843)。之には「明証の原理と科学的研究の諸方法[#「科学的研究の諸方法」に傍点](methods of scientific investigation)」とを結びつけた見解を示すものだ、とサブタイトルに書かれてある(社会科学に関する部分は、伊藤訳『社会科学の方法論』がある)。
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自然科学の著しい発達によって、まず第一に促がされたのは、専門科学者自身による科学的研究法乃至科学一般に関する省察である。物理学乃至数学の領域からはH・ポアンカレ、物理学乃至生理学の領域からは、E・マッハ、V・ヘルムホルツ、デュ・ボア・レモン、心理学の領域からはW・ヴント、生物学の領域からはH・ドリーシュ、などを挙げることが出来るが、これ等の科学者達は、科学研究法乃至科学一般に対する省察から、夫々一般的な認識論や哲学を導き出した。従って彼等は夫々の科学論乃至科学方法論を持っていたのである。――だがそれにも拘らず、彼等の多くは(少くともヴントは例外だが)、例えば諸科学に就いて比較研究[#「比較研究」に傍点]をすることなどに就いては、それ程熱心ではなかったのである*。なる程夫々の専門の科学領域に横たわる根本問題に関して、極めて立ち入った又卓越した分析批判が与えられている、夫は人の知る通りだ。だがそういうことと、夫々の科学をそのものとして一纏めにし[#「一纏めにし」に傍点]、之を諸科学全般との関係に於て考察することとは別で、後者は、必ずしもこのその領域のエキスパートとしての彼等が尊重した問題ではなかったように見える。だからここからは、所謂「科学方法論」とか又夫を中心課題とした所謂「科学論」とかは、充分の展望を以て現われる必然性を必ずしも見出し得なかったことは、無理ではなかった。
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* W・ヴントは近代に於ける実証的エンサイクロペディストの一人に数えられ得る
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