のある場合もあるのである。このような意味の引用は尤も、絶対に必要なのでも何でもない。引用なしに話を進めることは常に可能だ。また相当優れた理論家にはそういうタイプも珍しくはない。だが或る程度まで一々の引用を実際に示すことは、論旨の進度を妨げたり自分自身の考察をスレッカラシにしたりしない限り、一種の親切と一種の具体味とを読者に感じさせる。そして之は科学的に云っても意味の大きいことだ。問題は示唆と啓蒙と教育とに関するからである。
 でつまり第四には、単に出来る限り自由な観念連合を与えるような示唆のために、又夫々の問題について常識として又学界常識として心得ておくべき文献にリファーするために、示唆的な、啓蒙的な、引用があるのである。之亦科学的に意義の深い引用のタイプであることは、勿論だ。
 大体科学的引用のタイプはこの四種類位いで尽きはしないかと思うが、この内にどうしても含まれないような引用は、恐らく科学的な引用でないか、科学的に無意味な引用であるか、それとも科学的に有害な引用だろうと考える。修辞の上で云えば随想的[#「随想的」に傍点]ともいうべき引用法がある。語を或る意味で「具体的」にして面白
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