現実は正に、日本の社会機構・生産機構を通して政治的に動いているのだ。分析をここから始めない限り、日本的現実の把握は歴史的でもなく又技術的でもない、つまり科学的でないのだ、ということを銘記すべきである。というのは、そうしないと、一切の日本論議が、恰も今日見るように、論理的にもならぬし、実践的にもならぬ、というのであり、筋も通らなければ物の役にも立たぬ、というのだ。
さて之が科学的精神の要求する処である。之によって日本的現実のもつ日本固有[#「固有」に傍点]の独特な特色も初めて正確に検出出来る。最近までのわが国の科学的な日本研究は、正にこの線に沿うて、部分的にしろ可なり着々と歩武を進めて来ていることを知らねばならぬ。この労作の蓄積とその方向とを無視して、徒らに、思い思いの落想のように、日本文化のあれこれの探究(?)を揚言することは、刺戟としての意味はあっても、何等日本の認識を日本人の自己認識を、富ます所以ではあるまい。――まして思い上った単なる文献学精神・引用精神・を以て、現代に至る「日本文化」を理解しようとするが如きに至っては、何の意たるかを知るに苦しむのである。
[#地付き](一九三
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