角の特殊性や具体性が失われはしないかという点にある。特殊性や具体性と思われたものが、実は単に末梢的な偏異にしか過ぎない場合は、之を公式に還元することは却って批判対象たる思想の固有な特色を浮き彫りにすることだが、もしそうでなくて、事実上問題の核心が規定の公式よりも一歩進んでいる場合、つまり公理や定理ではなくそれから導かれた一層細かい規定を有つ系のようなものが必要な場合この系を定理や公理という公式に還元してしまうことは、結局公理がその公理自身を証明するようなもので、認識の空まわりにしか過ぎぬだろう。公式が用いられたのではなくて、公式が単に反覆自らを証明したに過ぎぬ。これは科学的には、誤ってはいないにしても少なくとも無用な操作なのだ。
勿論福本氏が論敵を攻撃する場合、論敵の論旨は古典的な公式より一歩も進んでいないばかりでなく、それよりも理論水準が逆行しているものと見做しているのだ。だから彼の場合あれでもよかっただろう。――だが万一公式自身が、科学的に正当であるかないかが問題にされる場合だとすると、勿論之だけでは科学的な操作ということが出来ない。公式が信頼[#「信頼」に傍点]されるのは、一つ
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