。吾々の今アプリオリテートと呼ぶものは之とは異って一般に感性的知覚は空間的な形式をとるという意識の性質、即ち空間表象は始めから与えられた不変な意識内容を表わす[#「空間表象は始めから与えられた不変な意識内容を表わす」に傍点]ということでなければならぬ。併しカントのアプリオリは単に之だけでは尽されない。寧ろ多くのカント学徒によればカントのアプリオリ説は心理発生的な意味でのアプリオリではなくして論理的な[#「論理的な」に傍点]関係を取り扱うものなのである。吾々の知識の種々なる部分の間にその妥当の論理的な関連[#「妥当の論理的な関連」に傍点]があるということを主張するものなのである。それ故ある命題に論理的なアプリオリテート[#「命題に論理的なアプリオリテート」に傍点]があるとはそれが経験の特殊の内容から論理的に独立でありその妥当が経験内容に依らずして他種の明白さを持っている[#「経験の特殊の内容から論理的に独立でありその妥当が経験内容に依らずして他種の明白さを持っている」に傍点]ということである。かかる意味でのアプリオリに解すればもはや概念や表象のアプリオリテートなどとは云うことは出来ない。
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