#「合法則性」に傍点]に対応するものを云うのである。それ故実在の認識とは事実上与えられた体験を合法則的に順序づけられた全体の一部分として云い表わし又理解するこの「全体的世界形像」のことに外ならぬ。それ故吾々が感覚生理学の事実をとり入れる時カントの空間及び時間の思想の上に立ちながら吾々はカントの説を超えて行かねばならぬものである。
理論物理学の基礎と考えられる「物理学的世界形像」は感覚の機能の特殊の性質を顧ない点に於てカントの考えと全く同様である。それはたとえ知覚の直接の結果と客観的に現実されたる者との矛盾即ち錯覚の如きものがあるということは認めるにしても、なお外的関係がある見方では特に又空間的な順序の或る関係は吾々の感能によって、直接に知り得る[#「直接に知り得る」に傍点]と考える。併し元来外的関係に対して吾々の知覚は決して充全であるとは考えられない。「連続の関係」やそれに基く測定と雖も絶対的に充全であり得ないということは少くとも正確さの「閾」なる感覚生理学上の事実から見ても明らかであろう。それ故吾々はかかる外的関係を直接に[#「直接に」に傍点]認識することは出来ない。ただ出来るだけ[#「出来るだけ」に傍点]正確に認識し得るというに過ぎない。それ故物理学のかかる世界形像はなる程実際上には何の危険も含まないという点では許され得るにしても終局的な充分な見方とは云われない。観察に基く全経験認識の論理的基礎を厳密に論ずる場合はそれ故常にかの「全体的世界形像」の考えに還らねばならぬであろう。さてヘルムホルツの如く Gleichkeit と physische Gleichwertigkeit と解してのみ吾々の経験認識に対してその意味を見出し得ると主張する自然科学的空間説は空間表象の心理的性質を忘れた点にその誤謬の源があると思われる。実在する対象の合同を云々する時物理的な合同の外に尚何物かが考えられていると云うにしてもヘルムホルツによればそれは「認識し得るもの」に就いては何の変りもないと謂うのであるが、併しこのことは合同の概念に物理的合同以外のある他の意味があるということを否定することにはならぬであろう。自然科学的空間説を困難ならしめるものは空間表象[#「空間表象」に傍点]が何等固定した完結した者を意味しないという事実である。それ故観察すべき出来事を理解するには吾々は実在界
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