せば「ある瞬間に与えられたる関係 Verhalten とこの関係のその時点に固有な変化との間に合法則的な即ち一般的に見出し得る関連が成立する」と云ってよいであろう。私は之を因果律の発生論理的 nomologisch な解釈と名づける。然らばかかる関連は如何なる論理的な形式で[#「如何なる論理的な形式で」に傍点]云い表わされるのであるか。それは「同一の条件[#「条件」に傍点]の下には同一の結果が起きる」という事である。併し実在界の全体が反覆出来ない以上、これは勿論ある一定の範囲に於ては[#「ある一定の範囲に於ては」に傍点]同一の条件の下に同一の結果が起きるということである。併しかくしても同一の条件が繰りかえし得るということは厳密な意味に於て云うことは出来ない。普通類似[#「類似」に傍点]の条件の下には類似の結果が起きると云われるのであるが、類似という如き徴標が甚だしく主観的な要素に依存するものである以上この云い表わし方は終局的なものとは考えられない。今出来事を一つの関数と見るならば関数を云い表わす方式は無数の場合に就いて夫々異った何物かを与えるものである事は、云うまでもない。関数関係は無数の個々の場合を統一的に云い表わすと共にその表現の内容と意味とは個々の場合の個別的な関係によって決定されるものに外ならぬ。それ故関数の力を借りることによってのみ以上の困難は除かれ得る。因果律は「あらゆる時点に於て与えられたる関係とその時点に固有な変化との間には合法則的な関連がありそれがこの変化をこの関係の関数として一義的に決定する」ものとして表現されるのである。私は之を因果律の発生論理的関数的[#「発生論理的関数的」に傍点]な解釈と呼ぶ。
因果律の発生論理的な解釈に対して作用[#「作用」に傍点]とか力[#「力」に傍点]とかいう概念によって因果律を規定しようとする考え方もあるのであるが吾々はかかる作用或は力を直接に知覚することは出来ないのであるから、もしそれがある関係を簡単に云い現わす説明法としてでないならば、それは吾々の認識の範囲を越えたものと云わねばならぬ。吾々の認識し得るものは何と云っても法則の概念による発生論理的解釈をとらせる。尤もキルヒホフなどが力学をば現象を「完全に最も簡単な形式で記載する」ものと定義して力や作用の概念を排斥したことはこの法則の概念に不当な付加物をさし入れる
前へ
次へ
全13ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング