ァ度下に於けるジャーナリズムの歴史的形態[#「歴史的形態」に傍点]なのである。
さて人々は、資本主義制度の下に於けるジャーナリズムとアカデミズムとのこの二つの形態が、直接にそれ自身としては、相互の間にもはや何等有機的な連関を持てない処の、バラバラなそして相互に矛盾した、二つの現象となっている、ということを今注意せねばならない。アカデミズムはアカデミズムで歴史的社会の必然的運動から愈々全く無関係に高踏化して行くし、ジャーナリズムはジャーナリズムで又之とは独立に、この運動を断片的な諸刹那に分解することによって愈々この運動を見失って了うが、その結果として、この二つのものは、相互を傷つけるようにしか作用しない状態に陥って了っている。で二つのものが有機的な連関に齎らされそうな手懸りは、今日ではもはやどこにもない様に見える。アカデミズムとジャーナリズムとは本来歴史的社会の運動に関して、初めから有機的に連関して相互に補い合う筈の、二つの契機――二つの極――ではなかったか。この二つのものの有機的な連関を、処が、近世資本主義が分解して了ったのである。かくて今や二つのものは歴史社会自身にとっての矛盾物
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