_が、――大学は之に反して初めは必らずしも資本主義の所産ではなかった――近代ジャーナリズムの生れながらの運命だったのである。だが、多くの官公立諸大学が直接に資本主義的利潤の追求を目的としないのとは異って(但し私立の企業大学は別である)、今日のジャーナリズムはそれ自身直接に利潤の獲得を目指していることを見逃してはならない。それだけジャーナリズムの資本主義による歪曲は、アカデミズムのそれに較べて深刻であらざるを得ない。
 かくて現代に於けるジャーナリズムは元々それが持っていた無定見性[#「無定見性」に傍点]の可能性を実現し、センセーショナルでトリビアルなものとなる。そうしなければ商品価値[#「商品価値」に傍点]を生じ得ないのである。だがそれだけではなく、そうなることによってジャーナリズムはそれに固有な当面性[#「当面性」に傍点]・実際性[#「実際性」に傍点]を失って了わねばならなくなる。それは現実行動的・時事的・性格――世論の指導・評論能力――を犠牲にせざるを得ない。実際例えば今日の諸新聞紙(近代的大新聞紙)は次第にその政治的見解を均等化しつつあるだろう。――このようなものが今日の資本主義
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