ト、この歴史的社会の運動に必要と考えられる諸形式を与えることによって之を独自に指導することを専心する処の、イデオロギーの運動形式である。だがそれが独自の原理と節操とを守ろうと力める余り、この歴史的社会の運動を促進する代りに、却ってその運動を固定せしめる、運動は惰性に落されるということになる。かくてアカデミズムは人々によれば固陋な自己満足に日を送るかのように見えるのである。
両者は元来、基本的・下部構造的・歴史的社会の発展の運動形式に対する、上部構造・イデオロギーの、取り得べき二つの運動態度でなければならなかった。それは元々、歴史的社会の運動をイデオロギー的に促進せしめるための、相互に補い合う筈の二つの極から成立っているメカニズムだったのである。それが或る条件の下には――その条件は後を見よ――その本質に含まれていた可能性を通して、却ってこの運動の制動機ともなることが出来る。でジャーナリズムの欠陥はアカデミズムの長所に、アカデミズムの欠陥はジャーナリズムの長所に、元来は対応する筈である。アカデミズムは容易に皮相化[#「皮相化」に傍点]そうとするジャーナリズムを牽制して之を基本的な労作に向
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