nであると云わねばならぬ。
 元来イデオロギーは、社会の上部構造の、時代々々によって異る諸形態[#「諸形態」に傍点]――イデオロギー形態――を意味すると共に、又社会の上部構造一般[#「一般」に傍点]――単に[#「単に」に傍点]イデオロギー――をも意味する筈であった(前を見よ)。このようにしてイデオロギーの云わば本質的な契機[#「契機」に傍点]と歴史的な形態[#「形態」に傍点]とを媒介することが、イデオロギーという弁証法的[#「弁証法的」に傍点]概念なのであるが、ジャーナリズムも亦その通りである。ジャーナリズムとは、一方に於て本質的な――昔から常に存在した――報道乃至交通関係というイデオロギーの一契機でありながら、同時にそれが、歴史的必然性に従って、今日の所謂ジャーナリズム(ブルジョア・ジャーナリズム)というイデオロギーの一形態にまで発展して来なければならなかった、その所以を弁証法的に物語る概念なのである。
 ジャーナリズムは、普通それが任意の視角からどう見られようと、イデオロギー論の問題として取り上げられるのでなければ、統一的に解明出来ないのであるが、之をイデオロギー論の視角から取り上
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