闊オおうとする「イデオロギー論」を思い出すだろう。だが後に見るように、吾々の[#「吾々の」に傍点]「イデオロギー論」は社会学者達の考える「イデオロギー論」――それは結局文化社会学[#「文化社会学」に傍点]乃至知識社会学[#「知識社会学」に傍点]の特殊な形態に過ぎない――とその根本性格を異にしているだろう。それと同じに、茲で今社会学と呼ばれるものは、社会学者達が立つ一つの立場[#「立場」に傍点]や彼等が用いる一つの方法[#「方法」に傍点]ではなくて、イデオロギーという意識的――夫はつまる処論理的――社会存在物に就いて、特に夫の論理学的でない契機[#「論理学的でない契機」に傍点]の観察を意味するものに外ならない。意識を他の諸存在から区別する最も著しい特色の一つは、近代の哲学者達が好く指摘しているように、価値[#「価値」に傍点]を担っているという点にあるが、その価値が、真理として――理論的・芸術的・道徳的・宗教的・真理として――常に論理的価値[#「論理的価値」に傍点]を意味しなければならない、吾々は論理の概念をそういうものとして規定しておいた。そこで今、意識(イデオロギー)のこの重大な特色を
前へ 次へ
全378ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング