Cンテリゲンツ[#傍点終わり]の興味の対象となることの出来る時なのである。

 イデオロギーの問題は、或る意味に於ける観念[#「観念」に傍点]乃至意識[#「意識」に傍点]の問題である。で観念乃至意識が又或る意味に於ける根本問題の一つである限り、イデオロギーも亦――或る意味に於ける――一つの根本問題でなくてはならぬ。――だが「観念」乃至「意識」の問題とは抑々何であるか。
 一体近世[#「近世」に傍点]哲学の何よりもの特色は、それが色々の意味でではあるが結局「意識の問題」から出発するという点に横たわる。すでにデカルトは自己意識――我考う故に我在り――を哲学的省察方法の立脚地としたことは能く知られている。ライプニツやカントの問題が意識――表象者モナド・意識一般――であったことは云うまでもないが、最も意識の問題から遠いと考えられるスピノザさえが、実体概念の必要な一条件として、それ自身によって考えられ得る[#「考えられ得る」に傍点]という点をつけ加えるのを忘れない。フィヒテの純粋自我、シェリングの自由意志の省察、ヘーゲルの絶対精神等々、凡そ近世の、特にドイツ的精神の伝統にぞくする、哲学――実はド
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