一的[#「統一的」に傍点]な存在である。そうでなければそれは意識として存在出来ず、又意識としての資格を保つことが出来ない。人々は之をだから「意識の統一」、「意識の流れ」、「意識の志向作用」、等々として指摘するのを怠らないのである。意識は常に意味を持つ[#「意味を持つ」に傍点]処の、意味する[#「意味する」に傍点]処の、意識でしかない。意識はだから、云わば何か平面なようなものではなくて立体によって類推されるべきものだろう、例えば円錐とか波とかが之である。だが意識のこの立体性・統一性を成り立たせる構造[#「構造」に傍点]は何であるか。意識の要素的諸部分の間の相互関係にしか過ぎない処の所謂「意識の構造」が何かと云うのではない、意識が一個の意識統一[#「一個の意識統一」に傍点]としてなり立つ所以のものは何か。吾々は夫を、最も広範に、併し最も正当に、外でもない一般的に論理[#「論理」に傍点]と名づけるべきだと考える。意識の論理的機能によって初めて、意識は意識として、心理の機能を果すのである。
 だがこういうと、論理と心理とを絶対的に区別しなければならないと仮定している処の、例の心理学者や論理学者
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