握されず、即ち社会は非社会的なものとしてしか把握されない(第五章を見よ)。デュルケム乃至レヴィ・ブリュールの社会心理学は、他のブルジョア社会心理学とは反対に、意識の分析からではなくて社会の分析から出発したが、折角のこの社会が非社会的――非歴史的――にしか掴まれていなかったわけである。実証主義的社会心理学は、だから、社会の分析から出発するという方法を、徹底することが出来ない。それは正当に社会を分析し得ないのだから。ここでも社会はブルジョア社会としてしか、又はブルジョア社会を標準としてしか、理解されていない。
社会のこの分析が正当でないことは、デュルケムの社会学主義[#「社会学主義」に傍点]の精神の内にも見出される。それは人間的諸事物を、自然や観念の概念を用いて解明する(自然主義・観念論)代りに、正に社会的存在として之を解明する企てであるが、それは無論好いとして、処がこの社会が飽くまで社会プロパーに止まっていて、――ブルジョア社会は永久化されて社会プロパー[#「社会プロパー」に傍点]となる――経済的な原因にまで掘り下げられて分析されていないという、盾の半面を持っている。夫は所謂――この概
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