_に、如何になり得ない[#「なり得ない」に傍点]かが問題ではなくて、もし多少とも――部分的にしろ――フロイト主義に真理があるならば、どういう条件の下にそれを社会理論になし得るかが問題なのである。そうして初めてフロイト主義をマルクス主義に取り入れる[#「取り入れる」に傍点]という言葉も、又取り入れないという言葉も、意味が生きて来るのである。――で、フロイト主義精神分析の方法であった個人心理学的方法は、どうすれば社会理論の方法に結び付くことが出来るか。ザピールはそこで両者の間に、社会心[#「社会心」に傍点](Sozialpsyche)の研究が※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入されるべきだと考える。フロイト主義の批評は今や、マルクス主義に、社会心理学的[#「社会心理学的」に傍点]研究を必要な問題として課すものだということになる*(勿論この際、フロイト主義自身が社会心理学――それが結局何でなければならないかは後にして――まで行き着くことが出来ないということは、少しも邪魔にはならない。却ってそうであればこそ、夫が問題として提出されるのである)。そして之は取
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