ヘ様々の観念的歴史観――今之を唯心史観[#「唯心史観」に傍点]と呼んでおこう――を結果する。フロイト主義的社会理論は恰もそのような歴史観に立った一つの場合であったことを思い出さねばならない。
 だが或る人々は、フロイト主義を観念論乃至唯心史観(そういう言葉を許すとして)と考えることに反対するかもしれない、フロイト主義こそ、意識に関する唯物論でなければならない、というかも知れない*。併しそう云われる理由は、単に、フロイト主義による意識(精神)――夫は個人的意識であったことを忘れるな――が生理学的[#「生理学的」に傍点]根拠に立って把握されているからというに外ならない。実際フロイト主義による意識(精神)の概念は、多くの哲学者達の夫とは異なって、生物学[#「生物学」に傍点]的背景を有つことをその特色としている、意識(精神)は生物学的衝動リビドー=エロスと裏表にあざなわれていた。併しながら意識乃至精神を唯物論的に取り扱うことは、これを単に生理学や生物学に結び付けることではない(それならば要するに十八九世紀の仏独の機械論的唯物論にすぎず、従って夫はまだ正当な唯物論ではない)、そうではなくて更に之
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