は何か。それはこうである、単独な個々の場合々々に就いて云えばその場その場限りでは意識も亦歴史的社会を決定する(同時に歴史的社会が意識を決定することは云うまでもない)、一応[#「一応」に傍点]の場合々々はそうなのである、だが意識活動の多数の場合が一群となって統一的に組織的に一定形態[#「一定形態」に傍点]を与えられるためには、逆に歴史的社会が意識を決定する外に道はない、それが終局に於ける[#「終局に於ける」に傍点]場合だというのである。
意識としてのイデオロギーはそれ故、もはや単なる意識ではなくて、一定形態の下に歴史的社会によって決定された限りの意識――そして之こそ意識の内容ある内容なのだが――、意識形態[#「意識形態」に傍点](乃至観念形態[#「観念形態」に傍点])でなければならない。で、意識の概念はイデーの概念ではなくてイデーの諸形態[#「イデーの諸形態」に傍点]・イデオロギーの概念となる、意識の問題がイデーの問題としてではなく、正にイデオロギーの問題として提出されねばならなかった所以はここにある。
意識形態としての社会上部構造・イデオロギーは併し、単純ではない。夫は諸段階に区別
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