して自由に、恐らく天才的に、歴史的事実[#「事実」に傍点]を引例することも出来るだろう。マックス・シェーラーの知識社会学は、この要領を見逃さなかった最も代表的な場合である。

 正にシェーラーは、コントの社会学から、その歴史的原理を完全に引き去るためにこそ、コントのかの歴史三段階説(尤も之はすでにサン・シモンにあるのであるが)を批難することから始める必要があった。それがミルやスペンサー等に関わると、マッハやアヴェナリウス等に関わるとを問わず、コントの実証主義に帰着する三段階説は、彼によれば「根本的に誤っている」のである。三つのこの段階は、科学発展の歴史的な順序に於ける段相を意味すべきではなくて、実は元来、人間精神の本質と共に与えられた三種類の永劫な精神態度と認識形式なのであるから、例えば一つのものが他のものに代って位置を占めたり、他のものの代理をつとめたりすることは出来ない。三つのものは、斉しく神話的な物の考え方から分化して来た、平行して同時に存在し得べき、類型[#「類型」に傍点]である。この三つの完全に異った動機、認識精神のこの三つの完全に異った群別と作用、この三つの異った目標、この
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