ニいう文化の内部的[#「内部的」に傍点]規定が予め明らかにされた上でなければ、成り立つことが出来ない。社会的なるものは例えば劇の芸術的価値の実現の可能性[#「価値の実現の可能性」に傍点]を規定出来るだけであって、劇の芸術的価値そのもの[#「価値そのもの」に傍点]を規定することは出来ない(G・ルカーチと同じに)。それは美学的[#「美学的」に傍点]考察の高々導線となることが出来るに過ぎないものだ、と彼は主張する。彼は云っている、イデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]とは、文化の自律ということと社会的な全基底が文化のこの自律の材料[#「材料」に傍点]又は条件[#「条件」に傍点]として作用するだけだということとの、概念であると。だから彼によれば、イデオロギーとは、結局精神的なるものの自律に帰着する(そして之がマルクスに対する最も忠実な解釈だそうである)。もしイデオロギーがそういうものならば、なる程彼の云う通り、農民戦争や宗教改革に於ては、イデオロギーなどは無かったに相違ない*。
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* 〔E. Lederer, Aufgabe einer Kultur
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