フ動力は、終局に於ては、文化[#「文化」に傍点]自身に在るのではない、夫は却って社会的諸関係の総体[#「社会的諸関係の総体」に傍点]の内に横たわらねばならぬ、と。彼が今茲で社会的諸関係と呼ぶものは、マルクス自身の言葉に従えば、生産諸関係[#「生産諸関係」に傍点]のことなのである。が夫がレーデラーに従えば、単に経済的・技術的な意味に於てばかりでなくて、その社会的習俗[#「社会的習俗」に傍点]をも含めて解釈されねばならない、それは「人間の生活諸関係」に外ならない、というのである。で社会的諸関係の総体[#「社会的諸関係の総体」に傍点]は、彼に従えばすでに「精神的[#「精神的」に傍点]な態度」を含んでいなければならない。――即ち精神がすでに物質の内に装置されているわけである、だから、こういう下部構造が上部構造の一方的な――もはや交互的ではない――規定者となるということは、同語反覆的に当然でなければならないではないか。だがレーデラーの文化社会学=イデオロギー論によれば、精神の物質に対する権利はこれだけには止まらない。文化層の社会学的[#「社会学的」に傍点]考察は、文化発展の可能性とか根本概念とか
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