ヘ一回的な完了物であった。だからそこで普遍化的・合理化的・な因果づけや進歩観が支配的であり得なかったのは初めから当然である。従って又文化は高々類型化される外に途を有たなかったのである(前を見よ)。
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* Prinzipielles, S. 29, Ideen, S. 10―12, 15, 27―28 を見よ。
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 表現は――この概念の性格から云って――常に類型的でしかない。で文化は、文化社会学によれば、形態学的[#「形態学的」に傍点]に取り扱われる外はなくなる。文化社会学は「文化形態学」となる。ヴェーバーはこの科学をゲーテが行なおうとした自然の形態学[#「自然の形態学」に傍点]の仕事に較べている、それは文明進化論などに較べれば一つの新しい科学[#「新しい科学」に傍点]である、と彼は宣言するのである*。――形態学的見方は、類型化的方法は、併し、凡そ事物を説明[#「説明」に傍点]することは出来ないし、又それを企ててはならない。与えられた与件を他の与件にまで分解して了う――因果的説明はそうである――代りに、与えられた全体をその
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