フ、本質としての、民族精神[#「民族精神」に傍点]の謂である*。ヘーゲルこそはゲルマーネン哲学の代表的な最後の組織者であったが(後を見よ)、恰も彼によれば、世界史はゲルマン民族の民族精神実現のための遍路に外ならなかった。その意識に於ける表現がそしてかの『精神[#「精神」に傍点]の現象学』だったのである。文化[#「文化」に傍点]の概念は、ゲルマン民族精神[#「民族精神」に傍点]と切っても切れない関係に置かれている。文化[#「文化」に傍点]と精神[#「精神」に傍点]とは(民族も入れていいが)全く一続きの範疇をなしている。
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* 愛国哲学者フィヒテの如きは、ドイツ語がラテン語から最も注意深く純粋に保たれているのを理由として、ドイツ民族が最も純粋なゲルマン人であることを証明する(Reden an die deutsche Nation ※[#ローマ数字4、1−13−24])――封鎖的商業国家のこの著者は、ドイツ・ファシズム(国家社会主義 Nationalsozialismus)の理論的先駆者の一人に数えられる。ヒトラーは、その党の綱領で、ドイツ精神[#
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