R性」に傍点]にすぎない。電子の存在は、電子の存在の蓋然性に外ならない、とも云われている。
 この測定に於ける不精密さは併し、決して測定という主観的な研究方法[#「主観的な研究方法」に傍点]によって初めて引き起こされたものではない。量子論で云うように物理学的対象――存在――そのものが量子的であったが故に測定作用も亦量子的であらざるを得なかった迄である。問題は一対の物理学的量の客観的な交互作用の内に横たわる。だから不決定性の原理は人々が往々想像するだろうような認識主観の限界[#「認識主観の限界」に傍点]を意味するのではない。でここに出て来る偶然性は、認識主観から由来するのではなくて客観的な存在そのもの[#「存在そのもの」に傍点]にぞくしているのである、今この点を忘れてはならない。従って、存在そのものは因果的に決定されているが、偶々之を認識する場合に、認識主観がもつ制限の故に充分に因果律を適用出来ないのだ、という解釈は許されない。所謂因果律は物理学的対象それ自身に於てもはや行われないのだ、というのが不決定論者の本当の――最も徹底した――主張であるべきなのである。
 ハイゼンベルクやシュレー
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