スとは考えられないだろう。処が因果律に就いては、もはや問題は単に物理学に限られることは出来ない、すでにカントは因果の関係を先天的な範疇に依って哲学的に演繹して見せたし、それより前には哲学者ヒュームがそれの論理的通用性を拒んだと考えられるので名高い。――で物理学者は今や、この問題をめぐって二群の哲学者[#「哲学者」に傍点]として対立する。決定論者[#「決定論者」に傍点]と不決定論者[#「不決定論者」に傍点]。と云うのは因果律の固執者と放擲者とである。そして注意しなければならないが、多くの物理学者が暗々裏に意識している処に従えば、決定論は唯物論に帰着し、不決定論は観念論を結果する、というのである。蓋し不決定論は、因果的必然性の外に、偶然性[#「偶然性」に傍点]を許すことだが、一旦之を許せば、自然界の内にも自由[#「自由」に傍点]・自由意志[#「自由意志」に傍点]を許すこととなり、それはやがて、所謂精神主義へ、又神秘思想へ、導く処のものだろうからである。
 不決定論の根拠はハイゼンベルクの不決定性の原理[#「不決定性の原理」に傍点]に基いて理解される。之に従えば、大量観察の際はとに角として、
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