ニいうことになる。――では併し、意識と他の諸存在との関係――意識も亦一種の存在 Bewusstsein であるが――との関係はどうやって与えられるか。意識乃至観念が凡てである(尤もこの場合意識乃至観念の概念は色々に都合好く偽装してではあるが)、では他の諸存在はどうなったか。それこそは観念論者に聞くがいい。
だが意識は決して、単なる意識としてあるのではなくて、何物かの意識[#「何物かの意識」に傍点]としてしかないのである。或る形の観念論の主張に従って、一切の存在が意識として初めて、意識されることによって初めて、存在出来るというならば、それだけ却って一層、一切の意識は何物かの意識だということにならなければならぬ。併しそうすると、意識はもはや意識として独立する[#「意識として独立する」に傍点]ものとしては意味を失うのであって、却って意識は或る意味に於て他の存在に依存[#「依存」に傍点]せねばならぬということになる。と云うのは、仮に意識を担うと考えられる主体――個人――が転変しようとも、一定の意識を形づくる処の存在そのものは転変しないかも知れず、従ってその意味に於て意識の内容は意識の主体――
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