煤u実践的知識」に傍点]である。今哲学がこの知識――この実践的範疇体系――と連帯責任を感じている限り、その哲学は実践的となる。と云うのは、人間の生活に役立ち[#「生活に役立ち」に傍点]、[#傍点]生活にとって実質的な意味を有つ[#傍点終わり]、哲学となるのである。之に反して哲学が之との連帯関係を無視すると、その哲学は生活に役立たず生活にとって何の実質的な意味も有たないから、おのずから歴史的に夫は淘汰されざるを得ない、そうした哲学は発達を止める[#「発達を止める」に傍点]のである。
 だが、哲学が実証科学とのこの連帯性――夫を吾々は実証性[#「実証性」に傍点]と呼んでおこう――を有つか有たないかは、元来その哲学を産んだ世界観の如何から来ることを忘れてはならぬ。そこで吾々は、実践的世界観[#「実践的世界観」に傍点]と観想的世界観[#「観想的世界観」に傍点]とを対立させることが出来るだろう。無論前者の正統的[#「正統的」に傍点]発生物――逆のマイナス符号の発生物も不可能ではない――が実証性を有った哲学となるのである。――この際例えばギリシア的世界観と云っても決して一つのものだと考えてはならぬ
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